京都では嵐山に足を延ばしました。
とっても味のある京福電鉄。街中を走る路面電車が素敵だとやっぱり嬉しいです。
車内もレトロ。外国人観光客の皆さんも、駅に入ってきたレトロな電車には嬉しそうでした。
嵐山のメイン通りは人でいっぱい。日本人より外国人の方が多いのでは…?と思う感じで、色々な言語が飛び交っていました。
看板も今や英語・中国語・ハングルが並んでますし、人力車のお兄さんが中国語で接客していたり、欧米人の車夫さんがいたり、本当に頑張っています。
でも、通りのお店が「お土産屋さん」ばかりになってしまったのは少し残念…。時代の流れに合わせて皆さん頑張っていらっしゃる結果だと思いますが、数年前までは本物の素材を使った素敵なものがたくさんあったのです。今では見かけなくなりました。
オフシーズンですが、竹林の先も人でいっぱいでした。
こちらの竹林の道は、人力車の会社が作ったのだそうです。この一画はよく手入れされていて綺麗でした。人力車で巡ると風情がいっぱいです。
落柿舎の前。この辺まで来ると人がほとんどいなくなりました。15年ほど前に来たときは人でいっぱいだったのに…と思って聞いてみると、駅が新しくできたりして、人の流れが変わったのだそうです。
沿道のお店も閉められてしまったところがたくさんあるとか。
嵐山はここから先が一番素敵だと思うのですが、この先を知らない方も結構いらっしゃるのでは…というお話でした。もったいない
落柿舎の前のこの景色は、昔京都に住んでいた母曰く40年前からまったく変わっていないそうです。落柿舎で伺うと、この前の土地は建物が建ったりしないように京都市が買い上げて、耕作地として使われているのだそうです。
この景観も含めて価値があると判断して守っているのは本当に流石…!と思いました。
あちこちに置いてあるゴミ箱も竹籠でカバー。やっぱり景観に対する意識って大事だと思います。
実は生っていないですが、よく見ると柿の木です。(枝についているのはヘタでした)ここは芭蕉十哲の一人として名高い、向井去来の閑居の跡で、当時40本あった柿の木の実が一夜のうちにほとんど落ちてしまったのを、かねてから売約中だった商人を気の毒に思って価を返してやったのが、名の由来になったのだそうです。芭蕉も晩年に三度ここを訪れていて、有名な『嵯峨日記』はここで生まれたとのこと。
中はこじんまりとまとまっていて、建物もお庭もとても素敵でした。ここなら句作も進みそうです。(写真撮影はOKとのことです。)
一番寒い玄関先の土間に、炭を入れられるようになっていて、天井も煙が抜ける構造でした。昔ここを訪れた人は、一歩足を踏み入れたとたんほっと一息つけたことでしょう。これぞ「ごちそう」「おもてなし」ですね。
障子戸の向うに見えるお庭が素敵…
冬なのに緑が鮮やかです。
蹲の置いてある縁側に投句箱が。この場でサラサラと書きたいところですが、残念なことにセンスがありません…
落柿舎。見学者は入れませんが、ちゃんとお花が活けてありました。
花は咲いてませんが、奥に藤棚が。獅子脅しの音が静かに響きます。こんなところで一句詠んだらいいでしょうね~。
ふと横を見ると、ほんの一輪ずつ、紅梅と白梅が咲いていました。
大きな梅園が人気の昨今ですけれど、こうやってお庭にほんの数本植えてあって、枝振りが美しく、密やかに咲いている梅もとっても素敵だと思います。